先日駅で電車を待っていると、突然強い風が吹いて
サラリーマン風の男性が持っていた資料と思われる紙の束が一斉に
ホームにまき散らされてしまったのである。
その時はホームに何人もの人が電車を待っていたため、
こういうときの心理状態として「私がやらなくても誰かが拾うのを手伝うだろう…」
という気持ちが働いて、きっと誰も拾わないだろうと思った。
人間とは基本的に自分に得がなければ動かない生き物だが、理性があるため罪悪感は感じたくないという少々勝手な生き物である(私も含め)。
そのため、困っている人のそばに自分しかいないときは「自分がやらないと後で何かあったときに困りそうだな…」という気持ちになり、比較的手を貸す人が多いのだそう。
しかし大勢の場合は「誰かがやるだろう。もし何かあったとしても自分だけが悪いわけではない」と思うらしい。
私も「この男性は運が悪かったな…」と思っていたのだが、次の瞬間それは驚きに変わった。
なんとホームにいたほぼ全員が男性がまき散らした紙をひろいはじめたではないか。
まるで競うようにたくさんの紙を拾う人々…
中には手の届かないところに行ってしまったものを拾うために駅員を呼んでくる人も…
そういう私も足元に舞ってきた一枚を拾ってしまったのだが・・・
これも震災後の日本に宿った”がんばろう日本””みんな仲間だ”みたいな精神なのだろうか。
最近ではやたらと”誰かのために何ができるか”や”絆が大切”などというコピーを目にする。
しかし私にはそれがどうも都合の良いキャッチコピーにしか見えない。
人間は孤独である。”独り”である。しかし、”一人”ですべてができるわけではない。
それを本当に理解している者こそが、自然と救いの手を差し伸べることができ、自分が救ってもらったときに心から感謝することができる人間なのではないだろうか。
仲良しこよし、甘えてばかりでは、やってもらうのが当たり前という錯覚すら覚えてしまう。
これは恐ろしいことだ。
紙をまきちらした男性も、感謝の気持ちをあまり言葉にせず、ボソボソと面倒そうにお礼をのべるに留まっていた。
これはいけない。
感謝の気持ちはオーバーな位に表に出すべきである。
自分を甘やかし、結果貧しい心しかない人間にはなりたくないと思う。
これはなかなかの難題なのだが・・・
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